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Serenata
中村誠一 with 伊東忍
JAZZBANK/MTCJ-1084 (2005) |
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友よ、目を閉じて聴きたまえ
嵐山光三郎
聴きましたか、泣けますねえ。ぼくの解説を読む前に、目を閉じてこの歴史的名盤を聴きましょう。ぼくは、すでに62回ほど聴いて、メロディを覚えてし まった。
50年前に聴いた50年後のブルーノートみたい。いま,63回めを聴きながら、この解説を書いています。背中からメロディがしのびこみ、胃のあたりでシュワーッと溶けていく。毛細血管のすみまで音がしみていきます。音楽に酔い、なんてゴキゲンな時間なんだろう。やわらかく、セクシーで、せつなく甘い、ひとりぼっちの夜。『セレナータ』には都市の孤独がつまっています。
中村誠一氏に会ったのは昭和42年(1967年)、新宿の花園神社の境内でした。唐十郎の紅テント一座『腰巻お仙・義理人情いろはにほへと篇』の公演。芝居がはじまるまえに山下洋輔(ピアノ)、中村誠一(サックス)、森山威男(ドラム)のフリー・ジャズ演奏があった。山下氏はぼくと同じ25歳、セーイチは20歳だった。山下洋輔と唐 十郎は60年代のスターで、神がかり的な人気がありました。ぼくは山下洋輔とは面識があったけれど、セーイチとは初対面だった。唐 十郎とは学生時代から親しかったため、唐vs山下の対決という興味で出かけていったところ、猛撃ジャズの間隙をぬって草笛のようなソプラノ・サックスの音が流れてきた。すずやかで、一直線に胸をつく魔笛。それがセーイチのサックスであったのだ。絶叫しない。まして吠えたり、呻いたりしない笛吹童子。ひ かえめでありながら力強く、笛の奥に都市の抒情がある。これだと、と思った。凄いのがあらわれたもんだ、とびっくりしました。
それから38年がたった。ぼくは、中村氏をセーイチと呼ぶほどの仲になって、セーイチのジャズ演奏会をプロデュースしたりした。ふたりで営業と称する巡 行をしたこともある。セーイチは、いつのまにかニューヨークまで武者修業に行き、3年ほど帰ってこなかった。帰国後、タモリのテレビ番組『今夜は最高』のバンド・レギュラーになった。おどろくべきことは、会うたびに進化している。1ミリづつ、しかし確実に腕をみがき、演奏を重ねるうち、日本を代表するエンターテイナーとなった。ジャズへの一途な殉教精神がセーイチを最高レベルへ押しあげていったのです。
そして、ついに、セーイチの最高傑作というべき名盤『セレナータ』が世に出たのである。それも、スタジオ録音ではなく、ニューヨークのマンハッタンにある伊東忍のアパートで、二人だけの演奏会。2004年9月6日深夜から7日にかけてのマンハッタン・プラザのアパートで,伊東 忍が『セーイチさん、ぼくの曲、一緒にやってみてよ』といって録音した。そのため、パトカーのサイレンや、ギターを叩く音や、ふたりの声が録音されている。
ニューヨークから帰ったセーイチから、この録音盤をかりて、聴いたとたんに、全身がふるえました。ああ、この日がきた、これぞ歴史的名盤だ、と確信しました。
目を閉じて何回も聴きました。
だれでも世界一になる瞬間がある。この曲を録音した夜、セーイチとシノブは世界一になった。スタジオでもう一度録音したって、この夜の演奏は再現できません。だけど、ぼくらはCDで聴くことができるのです。この名盤をCDとして世に出したジャズバンクが偉い。ジャズバンクにも拍手拍手です。セーイチとシノブの男の友情は、流れ星となってニューヨークの夜に散っていく。それを聴くぼくは、記憶の地平へくだけ、青春の彼方へ揺り戻されていく。ギターはサックスに寄りそい、サックスがギターに語りかけた。この瞬間、セーイチはサックスと一体化したのです。シノブはギターと合体した。これぞミュージシャンの運命的な邂逅でしょう。なんてあたたかい曲なんだろうか。
『セレナータ』を買った友よ、目を閉じて、何回も何回も聴きたまえ。きたえぬかれたテクニックが、くりかえされる波の奥へと吸いとられていく恍惚。軽やかなテンポ、スキップしたくなるメロディ、永遠のさざ波、マンハッタンの憂愁。ほら、ニューヨークの夜があけていくよ。朝になるとカラダが溶けちゃうんだから。セーイチのサックスを聴いた夜は、いい夢を見る。ジャズを体内に充電する。すると右脳が刺激されて、泉のようにイメージが湧いてきます。これは魔法のジャズなのだ。心のなかのモヤモヤは消え失せ、まっさらになり、小指のさきまでリニューアルされる。
若いころは、リバーシブルのジャンパーを着て、首をすくめて、からっ風のなかを歩いた。風が渦をまき、町のすみっこで枯葉が音をたてていた。そしていま、セーイチのサックスはラセンを描いて空に舞っていく。タマシイのマッサージ。
格闘と放浪と愛と空漠のはてに到達したやさしさが『セレナータ』に秘められています。効くぜ。涙が出てとまらない。ブラウンシュガーが、背骨の芯までしみていく。
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