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One Night To Live
伊東忍 with 土岐英史 , 島健
高水健司 , 渡嘉敷祐一 , 南部昌江
JAZZBANK/MTCJ-1022 (2001)
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ニューヨークには数多くの日本人ジャズ ミュージシャンが住んでいるが、一番、ニューヨークの空気というか、雰囲気を感じさせるのが本作の主人公、伊東 忍である。マンハッタンのミッドタウン、ウエスとサイド、43丁目にひときわ目立つ高層アパート、マンハッタン プラザがある。多くのミュージシャンが住むことで有名なこのアパートに伊東 忍は暮らしている。
ベーシストの鈴木 良雄やギタリストの川崎 僚もここに住み、ニューヨークの空気をたっぷりと吸い込み、彼等自身のジャズを育んでいったが、伊東 忍も1977年の8月からニューヨークで暮らしはじめ、すでに四半世紀に及ぶ年月をここで過ごした。アメリカの音楽界にすっかり溶け込みながらも、日本人としてのアイデンティティーを感じさせるメロディーメーカーとしての優れた才能、クラッシックからジャズ、ポップスまで幅広いジャンルを演奏できるギターテクニック。伊東 忍はライブシーンでの活動こそ控えめだが、そのキャパシティーの広さと、ギターワークの多彩さにおいて、ニューヨークでもっとも印象的なアーティストの一人であるといえよう。
作曲家、ギタリストとして多忙な毎日を送る伊東 忍が1991年、久々に帰国した際、旧友達とのセッションを行った。それが、本作「ワン ライフ トゥ ライブ」と名付けられ、形あるものとして発表された。当時も今も、東京を代表する有名ジャズライブハウス、六本木ピットインでのライブレコーディングである。
フュージョン全盛時代において、多くの伝説を生み出したこのクラブのライブのなかでも、本作は、その録音クオリティー、参加ミュージシャンの豪華な顔ぶれ、伊東 忍のメロディアスでありながらハイグレードなコンポジションとアレンジメント、そして何より伊東 忍をはじめとするミュージシャン全員がベストのプレイを展開していることから、録音10年を過ぎた未発表作品ながら、十分に公表に値する、というか、聴くべき価値のある傑出した作品といえよう。まさにピットイン伝説にあらたな一章が加えられたのだ。
伊東 忍は1951年1月28日生まれ。12歳から父親からクラッシックギターのレッスンを受け、将来は音楽家になるべく研磨を重ねた。高校時代にウエス モンゴメリーを聴き、ジャズギターに興味をもち、東海大学のジャズのジャズ研究会に所属しながら、潮崎 郁男に師事した。1975年ロスアンジェルスに半年間ステイし、そのときアメリカの文化、風土に大きなカルチャーショックを受けアメリカ永住を決意した。いったん帰国して、いまは亡き女性ボーカリスト、木村 好子の伴奏者として活動を続けるかたわら、中村誠一、向井滋春,土岐英史、植松孝夫といった第一級のジャズ ミュージシャンと交流を深め、共演を重ねた。
本作はそんな彼の日本滞在時代の旧友達との再会セッションであった。1977年にはスイングジャーナル誌の人気投票ギター部門にもノミネートされ、来日していた盲目の名ピアニスト、テテ モントリューとも共演し、絶賛を博した。これから日本のジャズシーンの牽引車たるべく活躍すると思われた矢先、伊東 忍はかねてからの計画どおりニューヨークへ移住し、現在に至っている。
日本から凄腕のギタリストがやってきたという噂はすぐさまニューヨーク中に知れ渡った。 先輩の増尾良秋はすでにソニーロリンズのグループに在籍し大きな名声を得ていたが、伊東忍もレジーワークマン率いるビッグバンドに抜擢されたり、やはりニューヨークに住む日本人ミュージシャンのボス的存在、中村 照夫のバンドに起用されるなど、忙しい日々が続くことになる。レコーディングにも数多く声がかかり、マンハッタン プラザの住人であったリッキーフォード(当時、ジャズウルフの異名を得て、現在のジョシュア レッドマンの人気に匹敵する注目のサックス奏者であった)とも共演している。
ライブシーンでも「55バー」「ブルーノート」等に定期的に出演した。88年にアメリカのもっとも権威ある音楽雑誌であるビルボード誌が主催したソングコンテストの作曲部門に入賞したのを機に作曲活動に比重を置くようになったが、やはりライブで聴衆から受けるバイブレーションが、音楽化としてのエネルギーの源泉と語っている様に、ライブこそジャズ ミュージシャンにとってもっとも重要というスタンスは堅持している。
91年に鈴木良雄のプロデュースでアルバム「セイリング ローリング」を発表し、メロディーメーカーとしての才能を遺憾なく発揮した。本作に含まれている<イン ラブ フォー キープス><ミヌートス パラ リオ><ファー アウェイ>はこのアルバムにも収録されている。
曲目はジャズに開眼したきっかけのウエス モンゴメリーのオリジナル<S.O.S>以外はすべて伊東 忍のオリジナルだ。歌詞をつけたくなる程メロディアスでありながら、ジャズ コンポジションとして聴き応えがある。
ちなみにジャケットの表紙を飾った美しい夜景は、伊東 忍が自ら広角レンズ付きカメラでマンハッタン プラザのテラスから撮影したものだ。毎日、こんな風景をみながら暮らせば完成も磨かれるだろう、と羨ましい気分になる。
伊東 忍は現在、グランドピアノが置いてある、マンハッタン プラザの部屋でピアノを弾きながら(作曲する時はピアノを使うという)新作を書きためているという。
近い将来、マンハッタンの空気を一杯吸い込んだ素適な作品が創られることをおおいに期待したい。
柳沢 てつや
ジャズ評論家 Oct,2001
Swing Journal Nov,2001 より転載の記事
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