マンハッタンに住んでいる人にとって、ブルックリンやクイーンズ等に足を運ぶのは億劫になりがちだが、約一年前程,エリックと知り合い、彼が毎週ブルックリンで演奏している「ゲイザ―ス」へセッションしにいったのがすべての始まりであった。
このクラブは一昔前に暴動事件があったクラウンハイツの北端、決して安全とは言えない場所にある。今やマンハッタンの一流ジャズクラブでさえ、かつての「ブルーノート」や[バンガード]であった、火を吹くような演奏、それに応える聴衆の掛け声など聴かれる事はほとんどなくなってしまったが、ここ「ゲイザ―ス」では、2ステージ目が始まる頃より、地元にすんでいるアントニオ ハート、ビンセント へリング、二コラス ペイトン、マーク シムズなどが集まり、エリックのグループに飛び入り、ジャムセッションとなる。
熱い聴衆の掛け声、互いにリスペクトしながら挑発しあうミュージシャン。まるで50年代のライブアルバムの雰囲気が現在のブルックリンにも生きており、僕はジャズの伝承はミュージシャンシップだけではなく、聴衆と共にあり、ジャズはコミュニティーが生み、育んできていることに感銘を受けた。
地元の古老の話によれば、50年代には、この周辺数ブロックおきに、ジャズを演奏しているバー、レストラン、クラブ等があり、地域のコミュ二ティーがその文化をサポートしていたそうだ。今回のレコーディングでは、エリックの名付け親(ゴッド ファーザー)で、亡き父チャールスの友人、ソニー ロリンズゆかりの人々に参加してもらい、彼等の懐の深い、豊かなプレイとエリックのエネルギーによって、その[ゲイザ―ス] の熱気が少しでも伝われば幸いである。
レコーディングは、僕のオリジナルで、以前、ソニーに捧げて作曲した<カリプソ二ー>から始まった。アルの小気味好いシンバル、ルーファスの太くて力強いベース、マークのドライで軽やかなピアノ,ギレルミの華やかなパーカッションでスタジオはカリブ海の明るい陽光がみちあふれた。
主役のエリックは、先輩達にかこまれ、又、マウスピースの調整等にてまどり緊張ぎみである。何回かのトライの後、TAKE2でOK。この火は,アルが夜「バンガード」に出演している為、あまりオスわけにはいかず、少しヒヤヒヤしたが、最初の曲で、しかも構成も少し複雑なのだがマアマアなのでほっと一息。次の<アルフィーのテーマ。はアル、マーク,ルーファスのご機嫌なグルーブで、TAKE1でOK。次はエリックのオリジナルで母親に捧げられた美しいバラード。マークのメロディアスなソロ、エリックの暖かい気持ちのこもった演奏である。
<イン ザ スピリット オブ アーサー>は、エリックがブルックリンのローカルヒーロー的な存在であるホーン奏者アーサーレイムズに捧げた曲で、この曲ではエリックはソプラノに持ち替え、アルのしなやかなビートにのり、力のこもったプレイをしている。ここまでで,マーク、ルーファスの出番は終わり。
30分はどの休憩の後,レギュラー グループのオルガン奏者ダン コステルニックに加わってもらう。まずは,マック ザ ナイフの通称でおなじみの<モリタート>、エリックもいつも一緒に演奏している団の参加で気分がほぐれ、いつもの調子で吹き始めた。
次の<オール ビコーズ オブ ユー>(クッキン アット ザ ゲイザ―ス)>は、毎週、エリック グループが 出演している「ゲイザ―ス」のオーナー、ベニーといつも暖かい声援を送ってくれる地元のファンの為にエリックが書き下ろしたブルース。次は,ソニー ロリンズのオリジナルで古くからのジャズ ファンには懐かしい曲<ストロード ロード>、素晴らしいスウィング感あふれるアルのリズムにのり、ダンもエリックもストレート アヘッドなソロを展開、2TAKE 録ったがどちらを採用するか迷ってしまった。
時間もかなりたち、後2曲を僕のギター入りで取らなくてはならないので、ギターのサウンドチェックもそこそこに<ユー ドント ノウ ホワット ラブ イズ><エアジン>を駆け足で録音。午前中にスタジオ入りしてから約11時間が経過していた。ギターは最初、5曲参加する予定でいたが、レコーディングの進行を見守りながら最終的に2曲だけと決めた。こうする事によって各曲にバラエティーをもたせる事が出来たと思ってる。
エリックのサックスの音は、大きく太く、低音域ではソニー ロリンズ、高音域ではジョン コルトレーンの影響が多少感じられる。ソロは、エリック独自のコード進行に対する解釈など、音楽学校で習って来たようなマニュアル的なフレーズを吹くだけの最近の多くのミュージシャンよりも、僕は彼のサウンドにジャズを感じる。
エリックを含めて、多くの彼等のバックグランドには16歳から70歳すぎのミュージシャンが一緒に演奏し、それに答える聴衆たち、小さな頃からジャズを演奏する親、親戚,隣人達の姿があり、それらが生活の中で自然に受け入れられ、やがていつの日か楽器を持つようになり、その時点で彼等にはもうすでにジャズという音楽が体の一部となっており、あとは自分独自の解釈と唄い方を探求してゆくのだと思う。
「ニューヨークにはミュージシャンの数と同じ音楽の種類がある。」といわれる理由の一つはこのことかも知れない。既に現在、名前が出てきているミュージシャン達、さらにそれを追う次の無名であるが才能のあるミュージシャン達を目のあたりに見ていると、アメリカのジャズ界の底辺、の底知れない広さを感じる。エリック以外にもまだまだ才能のあるミュージシャン達をこれからも出来るだけ紹介して行くことによってジャズにかかわってきた僕としては、アメリカが生んだ唯一の芸術であるジャズに少しでも貢献できればうれしいと思う。
でもここはやはりニューヨーク、夜中の2時~3時まで演奏して家に帰るということは非常に危険なことでもある。「ゲイザ―ス」で演奏し始めて2ヶ月ほどした頃、オーナーのベニーは店の前で何の理由もなくピストルで撃たれ1ヶ月程入院するハメになったし、ワン ブロック離れたところにあるデリ(雑貨屋)は正面をコンクリートで固め、窓口としては長さ30cm四方、厚さ1cmほどのアクリル板で出来た回転扉みたいになった箱があり、その中にお金をいれ、大声で注文の品を言うと中の店員が、お金と引き換えに品物を入れ、扉が反転してでてくるシステムになっている。
しかもその周りには地元のチンピラやドラッグ ディーラーがいることが多い。演奏が終わり、メンバーの車に楽器を運び入れている時に、早速寄って来て手伝おうとする仕事のない連中、勿論たった数ドルのチップ欲しさである。このような人達にある時はやさしく、ある時は怒鳴りつきながらミュージシャンとして生き続けて行くのであるから、ブルックリンやブロンクスのミュージシャン達はタフである。
最後に、我々ジャズ ミュージシャンに毎週、演奏できる場所を用意してくれ、最初から最後まで熱い声援を送ってくれる「ゲイザ―ス」のオーナー,ベニーに、そしていつも我々の演奏を楽しみにして聴いていてくれる常連さん達に心から感謝したいと思う。
特に、ソニー ロリンズ氏には、忙しいなかを気軽に写真撮影とインタビューに応じてくれ、又、甥同然に可愛がっているエリックにも暖かいサジェスチョンを与えて、励ましていただいたことを感謝します。又、いつも信頼しているエンジニアのジェイメッシーナのおかげで、どっしりとした底辺の上に、バランス良く各楽器が配置され、心地良い音となった事をうれしく思う。
伊東 忍 April,1997
|